絵画で見るギリシャ神話

ギリシャ神話の世界を絵画を通して見ていきます

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ブーグロー (1873) 「ニンフとサテュロス」

はてさて、前回の「パンの耳」の話から、ものすごい時間が経ってしまいました。あれを書いたのが2005年2月。このブログに転載したのが、2008年5月。書いてから4年、転載してからも1年近く放置しまくりでした。どんだけ放置すれば気が済むの? あーたって人は!(誰にとは言わないが、しゅみましぇん:土下座)




で、その「パンの耳」で「次回送り」にしていたのが、この名画の話であったのでした。

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素晴らしい!!! なんとも素晴らしい!!!

神話絵画について興味を持ち始めたのが、2000年の夏ごろで、その頃、「絵で見るギリシャ・ローマ神話」の掲示板を立ち上げ、ぽつぽつと記事を書いていたのでした。翌2001年、そう、あの911事件の頃あたりまでは、ワリとせっせと書いていた記憶が。

だが、それからは、この通りの自堕落ぶり。完全放置状態になっていたのでした。でも、ずっと再開したいなとは思っていたのですよん。そろそろ、自分の余命も無限ではないと気づき始めてきたので、再開することにしたのでした(笑) アレだし。一応、やりとげたいし。

で、その神話絵画に嵌まってて、アチコチ、探し回っていた2001年頃でした。このブークローの「ニンフとサテュロス」という絵画を見たのは。これを初めて見たときは、解像度の低いノートパソコンでの画面ではあったのですが、衝撃的でした。素晴らしい!!!なんとも素晴らしい!!!

で、ちょうど時期を同じくして、それまでいろいろと絵画を置いているサイトはあったのですが、Art Renewal Centerというサイトができたことに気がついたのでした。ここです。http://www.artrenewal.org/

このサイト、置いている画像の解像度が他とは比べ物にならないくらい高い。驚きました。当時は立ち上がったばかりで、画像数は少なかったのですが、それでも膨大で、神話関係の画像のURLをメモしまくった記憶があります。

しかも、このサイト、アクセスしてみれば分かるのですが、看板画像として、このブーグローの「ニンフとサテュロス」を使ってるのです!  おお! いー趣味してるじゃないか!

そこで、このサイトを立ち上げたフレッド・ロスという人の序言を読んでみたのだった。すると、なんと、やっぱり彼もこの絵に衝撃を受けたらしいのです。

彼ロスの講演が次のところに掲載されていますが、そこから、ロスがこの絵と出合ったときのことを書いた部分を抜粋して翻訳します。

http://www.artrenewal.org/articles/2006/OPA_Speech/opaspeech1.asp

1977年10月、私はマサチューセッツ州、ウィリアムズタウンのクラーク美術館を訪れていました。30枚あるルノワールの絵を見るためです。そして、ルノワールのギャラリーを見終えてホールに出て来た時、その隅っこのところに、この絵があったのです。私は、身も心も鷲づかみにされました。等身大の絵画で、4人の水のニンフが、抗うサテュロスを湖へとふざけ混じりに誘い込もうとしている絵です。

私は、口をあんぐり開けたまま、その場に凍りいていました。背筋を冷たいものがピリピリと走るのを感じました。まるで魔法をかけられたように、その場を動けなくなっていたのです。とても臨場感に溢れ、あまりに美しく、そして力がある。15分か20分ほど、次から次へと押し寄せてくる芸術的、精神的なエクスタシーに身を浸した後、ようやく、意識を取り戻せた私は、今度は、答えが見つからない様々な疑問に頭が一杯になったのです。

最初思ったことは、「ミケランジェロのダビデ像の前に立ったとき以来、芸術作品に対して、こんなふうに感じたことはなかった」ということ。次に、「この絵は超一流作品の一つに違いない」と思いました。でも、作者の名前も、国も、時代も浮かんでこない。イタリア・ルネサンス? 17世紀オランダ? カラバッジョ? フラゴナール? アングル? プルードン? ・・・いやもっと前かも・・・ラファエル? ボティチェリ? ダビンチ? いや違う! 違う! 違う! どれも、今見ている絵とは違うものだ!

そこで私はもっと近くによって見ました。そして、下のほうにブーグローと言う名前と1873年という文字を見つけたのです。・・・ええっ? 1873年?

こんなことがありえるのか? 私は、この時代の偉大な芸術家といったら、モネ、コロー、クールベ、そしてルノワールだったと教わったではないか・・・それに、古い時代の技法やその偉大さも死滅して、1870年代には、このような素晴らしい絵画を描く方法を知ってるものは誰もいないと教わったはず。

私は、学生時代に何年も授業をとってきて、さらに、大学院に進み、芸術関係で60も単位を揃え、コロンビア大学で修士号をとったのに、この画家の名前を聞いたことがなかった。一体誰なのだ? 重要な人物だったのか? どうして重視されないなんてありえたのだろう? これほどの作品を残した人物なら、芸術世界で、最高の賞賛を与えられるに値するのは確かなはず。



ロスさん、すごい感銘を受けたみたいです。この話、いろんなところでやってるみたいです。

ロスさんの言おうとしてるのは、自分は大学とか大学院とかで、いっぱい美術の勉強をしてきたんだけど、19世紀後半と言うと、印象派とかそこらあたりばかり取り上げてて、フランスのアカデミズム系の絵画は、古いとか、伝統に凝り固まっているとか、形骸化しているとか、そんな話しか聞かされてこなかった。まあ、確かに、現代芸術につながってるのは、この頃から生じた、前代の様式をガンガン破壊していって新しい表現を探るって態度なんだけど、だけど、そればっかりもてはやすのはいかがなもんかと思うのよ。現に、この絵を前にして、俺なんかブルブル震える感動を味わったんだが、その感動はどーしてくれるんだ? と。

うん、分かる気がするよ、ロスしゃん!

ロスさんは、そこから一念発起、インターネットの拡大という時代に合わせて、どうしても自分の感動を人に伝えたくなり、この時代の、芸術史上はあまり評価されていない名画の数々を、高画質で見てもらえるサイトを立ち上げることにします。その結果できたのが、このArt Renewal Centerなのだった。

分かる気がするよ、ロスたん!

人に分け与えたい、シェアしたいって気持ち! アタクシも、美術史のことなんか良くわかんないけど、ルネサンス期の大画家たちの後はレンブラントとかボッシュとか、あるいはフランスのプーサンとか、そこら辺がちょちょっとあって、後は、印象派とかゴッホとかピカソとかって続いて、現代だもん。このブーグローとかカバネルとか知らなかったもん。自分の感動を、人に伝えたくなる気持ち、すごく分かるよ!

とても素晴らしい名画を描いた世代が、ごっそり、後世では丸無視され続け、さらにはアタクシたちにもあまり美術の時間とかで教えられてこなかったってことだもん。騙されたって感じ。

アレか? 確かにブーグローとかカバネルとか裸絵が多いもんな。ほんでもって、そいつを、例えば、高校の美術の時間に教えるとなると、こりゃ、先生もちょっと説明する時、赤面しちゃうかもしれないし、男子高校生の方も、違う方の頭をもたげちゃったりするから、

「A先生、19世紀後半のフランス・アカデミー系の画家の話なんですけど、ちょっと、アタシ、生徒たちの前で、説明しづらくって、困ってるんですよ。裸満載なんですもの。どうしたらよいでしょうか?」
「そうですね、確かに。・・・ここのところは、ちろっと触れるくらいで、かるーく飛ばしちゃいましょー、B先生」

って会話があちこちでなされて、その結果、すっ飛ばしってことになったに違いないのだ。絶対に。もー、騙されたって感じだよ(笑)

分かるよ、ロスちん!




それにしても、どうして僕はこの絵画に一発で惹かれてしまったのだろうか? ロスしゃんも考えたのだろうなあ。でも分析自体は見つかりませんでした(いや、ものすごくたくさん文書が載ってるので、あのサイトには:汗)

で、ちょっと考えてみたのだ。いや、分析なんってもんじゃなくって、感想と言うか、こじ付けと言うか(笑)

まずは、裸のニンフたちに沼に引きずりこまれようとしているサテュロスという構図で、それも意味深だと思うのだけど、でも、それは後回しにすることにして、とりあえず、最初に、目を引きつけられるのが、手前、右手にいる背中を見せている女性の美しい肌なのだった。そこだけ切り抜いて、再掲します。

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うう、美しい! 光を受けて輝く、透き通った白肌! その女性的な腰の丸み! 背後からも見えるハミ乳の豊かさ!(ハミ乳の定義とはズレるけど) ああ、触れてみたい! 実に女性らしさを強調した姿、そして明るいハイライトを当てて、それを際立たせた配色。

実際、サテュロスの手が、彼女の左の乳房(ハミ乳)に届きそうになっているのが見えます。触れてみたい! いや、いかん! ダメ、ダメ! ああ、でも触りたい!(多分、そういうことを表わしているわけじゃないだろうけど:笑)

で、次に目が行くのは、当然、その向こう側にいて、笑顔を見せている彼女! 彼女の笑顔はアップにするに値する!

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この、はにかんだような笑み! 眼差し! なんと可憐なことか! しかもその慎み深そうな表情には、温かさ、おおらかな明るさも感ぜられる!

確かに若い娘さんではあるのだけど、何と言うか、聡明な女性の持つ賢さ、奥ゆかしさ、明朗さが表わされているような笑顔だなあと。この娘さんは、あまり肉体的な女性美は出ていません。胸のところは、サテュロスの腕で見事なほど隠されちゃってます(残念!) 下腹部も、なんと、ずるいことに
ショールという小道具を使って、さりげなく隠しちゃってる(実に、ずるい!)

光線のあたりぐあいを見ると、手前の女性が肌の美しさを際立たせるように身体に煌々と光が当たってるのに対して、この女性の場合は、身体や顔にはあまり光はなく、むしろ、頭部にハイライトが当たってます。やはり頭がいいんだ、この娘さんは!

手前の美肌の背中を見せている女性が、体の曲線美や肌の滑らかさといった女性の身体的な美しさ見せているのに対して、奥の笑顔美少女は、明朗さ、奥ゆかしさといった女性の精神的・理知的な美しさを表わしているような気がするんです。実際、ヘアバンドを見てみると、手前の女性が赤いバンドをしているのに対して、奥の女性は青バンドをしている。

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赤はやっぱり身体的な情熱につながるような感じ。一方、青は精神性や知性につながるような感じ。あくまで、感じ(笑)

ともかく、こんな二人に腕を引っ張られて誘われたら、いやでも誘いに乗ってしまいそうです。しかも、脇役的存在だとはいえ、後ろの二人も、サテュロスの沼への引きずり込みに強引な加担をしてるのですよ、ご主人!

右手の女性は、>角を握って引っ張ってるし、遠くにいるニンフの仲間に応援を呼びかけています。右手奥の暗がりに、裸のニンフがうじゃうじゃいますよ!

左手の女性は、体重をかけて、踏ん張りながら、サテュロスの後頭部を押しているのだった。顔には、「いい加減、観念したら?」とでも言いたげな、表情。ああ、そんなあ、強引なあ!

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構図的には、この絵には二つの三角形があるように見えます。一つは、この絵の中心人物である、サテュロス、赤バンド背中美肌娘、青バンド聡明笑顔娘が形作る縦の逆三角形であり、もう一つは、サテュロスの左右の腕の広がりによってできた水平的な三角形です。縦の逆三角形は黄色で、水平的な三角形は赤で書いてみました。

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黄色の三角は逆三角形になっていますので、当然、不安定さを印象付けます。今にも傾いて、倒れてしまいそう。どちら側に倒れそうかは、絵の中に描かれている力学から明らかで、サテュロスは、今にも沼の方向へ倒れてしまいそうになっています(でも、まだ、踏ん張ってる)。

で、赤の三角を見ると、明らかに一つの角はサテュロスの目にあって、その目の前にある沼へと広がっていることが分かります。彼の視線の先にはどんな沼があるのでしょうか? 画面には描かれてはいないけど、この森の雰囲気からすると、あまり明るそうな沼じゃないんじゃないかと思えます。・・・何と言うか、どんより濁ったミドリ色の沼。中にどんな生き物が隠れているか、分からない沼。できれば入りたくない。

それにしても、どうして、サテュロスは、こんなに抵抗を示しているんでしょう?

サテュロスとニンフたちを画題にした絵画では、通例、サテュロスがニンフと陽気に遊んでいる図とか、あるいは、サテュロスがニンフを追いかけたり、襲い掛かったり、略奪したりする図が描かれます。サテュロスって、そういう好色で、陽気な、あるいは時には乱暴な遊び人というイメージなのだった。

だったらさあ? サテュロス君、この絵の状況は願ったり、叶ったりの状況じゃないかと思うんだよ? 


手前赤バンド 「さあ、サテュたん、一緒に遊ぼーよ。気持ちいいこと、しよー?」
奥の青バンド 「サテュロスさん、私たちのところへ行きましょう? 本当に、楽しいんですよ?」
左奥踏ん張り娘 「うふふ、いい加減、諦めてさあ!」
右奥呼びかけ娘 「みんなー、手伝ってー! サテュちんったら、強情なのよー」

ほら、みんなもそう言ってるのに。なのに、どーして、拒んでるの? どーして、そんな難しい顔をしているの? それにさあ、サテュロス君は、結構、腕力があるんだから、逃げようと思ったら、すぐに振り払って、スタコラサッサっていけるじゃん? なのに、どうして逃げようとしていないの?


やっぱり、目の前にある沼が怖いんでしょうね。と、同時に、何か抵抗し切れない魅力的なものがあると。一体、サテュロスは沼の方向に何を見ているのでしょう? 

まず考えられるのは、やっぱ、女性かな? と(笑)

ニンフが4人描かれているけど、これはサテュロスの心理状況を表わした幻影であって、この4人が合体した一人の美女が沼に立っていると。言い方を変えると、完璧と思われる女性が彼の正面、沼の中にいて彼を誘っている。

その女性の身体的な美しさが手前の赤バンド女性となって彼を誘い、彼女の精神的な美しさが奥の青バンド女性となって誘っている。他の二人も、その女性の分身の術の結果。

サテュロスはニンフの誰にも視線を向けていないんだけど、それは当然で、彼に見えているのは正面にいる(画面には描かれていない一人の美女だから)。両腕を広げて、彼女を抱きしめたいと思っている。だがだ、沼が怖くて行けない。

エッチしたーい! でも、沼におぼれるのはヤダー! って、いや、やっぱ、もうちと深いだろー、フツー(笑)

ロックとかポップとかの歌で、ラブソングが多いけど、アレはラブソングという衣装をまといつつ、実は違うことを歌っているのだとよく言われます。ラブソングに乗せて、相手への気持ち、憧れ、嫉妬、恋愛の嬉しさや悔やみを歌いつつも、その相手とは、恋愛での相手のことと見せかけて、実は、もっと抽象的な、人生での理想とか信条とか願いとかであると。

ここでも、理想的な女性を目の前にしてのサテュロスを描いていて、しかも、その女性の美徳を分身の術で肉体性と精神性の二人(後ろも混ぜると4人だが)に分けて描いているのだけど、その直接描かれていない美女自体が、何かの象徴となってるのではないかと。

何か、圧倒的に美しいものが、それなのでしょうね。それに溺れてしまうのが怖いのかも。

サテュロスは基本的に森の住人。一方、水のニンフたちは河川や池沼の住人。同じ野生生活をしているにしても、別々の世界の住人です。サテュロスにしてみると、そのような、異質の世界に美しいものが現れ、虜にされてしまった、と。だが、所詮、自分が生きている世界とは違う世界であるわけで、その世界に入ってしまったら、自分は死んでしまうかもしれない。だけど、どうしても、魅力に引き寄せられてしまう。どうしたら良いのだ? 

サテュロスたん、目が怖いですよ!

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違う世界に魅せられるんだけど、違う世界だけに、怖くて悩む。その葛藤が描かれてると。

こういう状況は割りと身近にあるように思います。「転職した方が年収が上がる。でも、新しい会社でやっていけるんだろうか?」とか、「彼女と結婚したい。でも、その後の新しい人生はちゃんとやっていけるんだろうか?」とか。

ともかく、そういう悩みでも、神話の構造として描かれることによって、レベルの高い、抽象度が増した悩みとして観る人に伝わることになると。

そこで前の疑問に戻って、どうして、アタクシがこの絵にグイッと惹かれてしまったのか、と。それを思い返すと、やっぱり、そのような望みと不安のせめぎ合いの心理状況にいつも置かれていたからなのではないかと思います。ほら、例えば、「隣のパチンコ台の方が出が良さそうだ。でも、移った後で出なかったらを考えると怖い」とか、「どっぷりエロに浸りたーい。でも、浸りすぎて、溺れてしまうのはこわーい」とか(← いや、もう溺れてますよ、あーた)。

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パンの耳

近所のスーパーでパンの耳だけを集めて売ってるんですが、それを買って食べるてと、確かに貧乏くさいものの、なんか「お上品な柔らかフワフワのパンなんか食べなくったって、こうやって食っていけるぜ!」っていう、開き直ったワイルドな気分に浸れます。自分が生命力旺盛な野生児になった気分。

***

先日、「ネバーランド」という映画を観てきました。

「ピーターパン」の原作者のウィリアム・バリーがどうしてこの劇を作ったのかを描いた映画でした。小品ですが佳作だったと思います。バリーが、4人の男の子を持つ未亡人と知り合う。その3男の名前がピーター。

ピーター君は妙に大人びていて、想像とか空想とかをバカバカしいと兄弟同士での遊びに加わらないのでした。それを見かねて、バリーは空想の素晴らしさ・効用をピーターに分かってもらうためにピーターパンの劇を作ったという話。

ピーターパンの「ピーター」の部分は、この映画で描かれているように、その未亡人の3男の名前に由来します。それじゃ「パン」の部分は何なのかというと言うと、これはギリシャ神話に出てくる牧神のパンに由来するらしいです。

有名な話しなのかもしれません。ピーターパンについてのFAQを書いてる次のページでも、そう言っています(2つ目の質問)。

ピーターパンFAQs

ディズニーのアニメでのピーターパンは、わんぱく少年のイメージですが、その耳の形が異様です。とんがってます。



牧神パンはヤギの耳をしているのですが、このピーターパンの異様な耳も、彼が実は牧神パンの仲間だとするならば納得が行きます。これが正しいとすると、ピーターパンとは「牧神パンのピーター」という意味となります。

じゃあ、なんでそもそも、ピーターパンは「(牧神)パン」なのか? 

映画「ネバーランド」には、それについての説明はありませんでした。

***

話が逸れるかも知れませんが、ちょっとギリシャ神話での自然観について。

ギリシャ神話の世界では、自然界のすべてに何かが宿っていると考えられていたようです。そして、その宿ってるものの多くがニンフ(nymph)たちでした。ニンフは「精霊」と訳されるのが普通ですが、もっとエロいイメージで構わないと思います。ニンフから派生されてきた言葉には、nymphomaniac(色情狂・多淫症)などのエロい言葉がいっぱいあります。ニンフは基本的に半裸状態の美しく若い娘たち。山や川や海や野原のいたるところにニンフが宿っているのでした。イメージ的には次の絵のような感じ。

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Bouguereau (1878) The Nymphaeum 「憩いの場」

想像してみて欲しいのですが、これはすごい世界観です。古代ギリシャ人に大敬服です。自然の野山・山河のそれぞれに、実際には目には見えないが、半裸・全裸の美しい娘たちが宿っているのですよ。

ハイキングで野山に行ったとして、あたりじゅうに全裸・半裸の美しい娘たちがいてニコニコ微笑んでくれているのです。そう想像した瞬間、僕は自然が実に実に美しく感じたのでした。心から自然を大切にしなければ(そのお礼として、あわよくば、自然に宿るニンフの誰かに楽しいことさせてもらいたい)と思いました。

自然保護バンザイです。自然保護運動は森林河川全裸娘保護運動と名称を変えるべきだと思います。

ニンフについては、裸婦画が嫌と言うほど釣れるので、いずれ別の機会に特に取り上げます。アタクシ、ニンフの絵を張り、それについてエロ文を書くことは、使命と感じています。

ともあれ、そういった古代ギリシャでの自然の理想郷の一つにアルカディアという土地があります。そのアルカディアの動物たちの神がパン(Pan)です。ニンフたちと遊び回る牧神です。

パンは、上半身は人間、下半身は山羊の姿。頭には二本の角をはやし、ヒゲがボウボウの
顔、という風貌です。下半身が牛の姿になっているのはケンタウロスで、これとは混同してはいけないようです。彫刻ですが、次のような風貌。

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Bandinelli, Baccio (1540) Faun

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Riccio (1506) Satyr

次の絵は、色彩が鮮やかですね。

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Rubens, A Girl and Satyr with Fruit Basket

パンは、元来は結構、上級の神様のグループに入っていたようなんですが、この半分ヤギ、半分ニンゲンのパンと似た格好の者たちもいて、それがサテュロス(satyr)と呼ばれる連中でした。こちらは下級の連中。

さらにそのサテュロスよりも下級の連中としてシレノス(silenus)というのもいました。また、これらはギリシャ神話での呼び名ですが、ローマ神話にも似た風貌の神がいて、それがファウヌス(faun)。

姿や格好が似ていると、結局は同類と見なされちゃうらしくて、やがてパン、サテュロス、シレノス、そしてファウヌスと、呼び名が違っても、同じような者と見なされるようになってしまいます。ここらあたりはごちゃごちゃです。

半分ニンゲン、半分ヤギという風貌や野山に住んでいるという点に加えて、行動や性格もだいたい共通していて、
・酒好き
・極めて好色・女好き(ニンフや女神を追っかけ回してる)
・野卑な言動
などなど。(なんだか僕の行動性格を述べられているような気分)。

きわめて大雑把に言って、野生の自然の力と生物の繁殖を司る好色な神っていう特徴づけです。

後で触れると思いますが、ニンフの一人、シュリンクス(Syrinx)との逸話から、笛を持っていて、その名手でもあります。その笛はパン・パイプとかパン・フルートと呼ばれます。次の絵でパンが抱えています。

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Vrubel (1899) Pan

牧神パンはゼウスの子供ともエルメスの子供とも言われ、結構レベルの高い存在です。祭壇に祭り上げられた感じのパン。

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von Stuck (1908) Pan

次の絵では、右端にパンの石像があります。男女乱れて大騒ぎが始まりそう。

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Poussin (1631) Bacchanal before statue 「石像の前のバッカナルたち」

上の絵から少し時間が経った後が次。乱れの度合いが高まっています。中央にあるパンの石像も酒を飲んだのでしょうか? なぜか顔が赤らんでいます。この後、乱交になったことでしょう(だがその画像はない:泣)。

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Poussin (1636) The Triumph of Pan 「パンの勝利」

***

ですが、割と高レベルの存在だったパンも、他の低レベの存在と混同され、サテュロスとかシレノスの一員として集団化されると、普通はディオニソス(ローマ名、バッカス)の仲間として描かれるようになっていきます。しょっちゅう、酒を飲んで踊ったり、野山を歩き回ったり、ニンフを追っかけ回しています。

酔っ払った醜い姿はもっぱらシレノスが中心か? 何となく自分の姿を・・・

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Rubens (1618) Drunken Silenus 「ヨッパのシレノス」

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van Dyck (1621) Silenus drunken 同じく「ヨッパのシレノス」

発見したとき衝撃を受けた絵画が次! その衝撃のあまり無意識的に小躍りして喜んでいました。ほとんどハードコア・ポルノです。

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Briullov (1830) Silen, Satyr and Bacchanals 「シレノス、サテュロス、そしてバッカナルたち」

左に顔のはっきりしない男のサテュロスがいて、ニンフへの挿入を手伝ってます! 
下には女のサテュロス。あそこをいじられています! 
仰向けにドテンとなってるシレノス。勃起してますよ、奥さん!

酔って淫蕩の限りを尽くしたあとは、グースカピーです。

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Montorsoli (1532) Drunken Satyr 「ヨッパのサテュロス」

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Rubens (1610) Pan Reclining 「横たわるパン」

***

好色・酒好きのパンは、基本的には陽気なオヤジっぽいキャラクタですが、よく森の中で昼寝をしていて、そこを起こされるのが大嫌いの模様。そうされると怒り狂うようです。

パニック(panic)という言葉が、パンの怒った時の突然の恐ろしさを表すものとして生まれたのは有名だと思います。次の絵はパンがいきなり襲い掛かってパニックになったアルテミス(ディアナ)女神一派の状況。

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Rubens (1638) Diana and her Nymphs Surprised by the Fauns 「ファウヌスに驚かされたディアナと彼女のニンフたち」

右端で槍で対抗しようとしているのがアルテミス女神。さすが女神。パニックにはなっていないようで、ちゃんと前を隠しているじゃん!

***

このようにパンは、オリンポス12神などに比べると低い身分の存在でした。ですが、「パン」という名前が、「すべての」などの意味を表す別の単語の「パン」と同じ発音だったことで、一部で勘違いが生じたらしいです。「すべての」の意味のパンは、「パン」アメリカンとか「パン」テオンとかに出ています。その「すべての」の意味が牧神パンにも付与されてていき、牧神パンは、「すべての」神の上にいる、全世界的・全宇宙的な存在とも考えられたらしいです。

ビクトル・ユゴーが、詩で「我はパンなり。我は全なり。ジュピターよ、跪くがよい!」と書いていたそうです(『ギリシア・ローマ神話文化事典』ルネ・マルタン監修)。ずいぶん偉いな、パン。ゼウスにため口で命令か?

キリスト教が拡大していた紀元後1世紀のローマ。ティベリウス帝の時代。船乗りの一人が不思議な声を聞き、「偉大なるパンは死せり」と告げるように命ぜられたらしい。そう告げると自然界は悲嘆にくれたと。

これって、こういうことなのかなあ・・・? 

淫乱・多神・土着宗教の親玉的存在のパンは死滅し、これからはキリスト教の時代だと。
高らかに宣言した逸話だと、そうかもしれないです(が、よく分かりません)。

キリスト教ががんじがらめに支配する中世ヨーロッパでは、サテュロスやパンの姿は悪魔のイメージになぞらえられていました。

そして実際、パンが芸術世界に復活するのは、人間性が重視されるようになったルネッサンス期でした。

そしてさらに時代が進んで、19世紀。ニーチェが「偉大なる神は死せり」と言い、キリスト教の世界からの完全脱却を語りました(多分:笑)。このセリフ、前の「偉大なるパンは死せり」を踏まえています(これは確か)。ニーチェはパンのことを念頭においていたのだと。

同じころの1873年。ブーグローが、ニンフと戯れる牧神パンの絵を描きました。名作です(この絵については次回、もっと詳しく)

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Bouguereau (1873) Nymphs and Satyr

さらに同じころの1876年、ステファーヌ・マラルメというフランスの詩人が「牧神の午後」という詩を書きました。「牧神」とはもちろんパンです。当時としては画期的な象徴詩だった模様。”ヘルメス”の笛に、この詩の原文の一部と要約が載っています(そこからの引用)

水辺でニンフたちが水浴びをしている。そこへ彼女たちの美しさに目を奪 われた牧神パンが仲間になりたいと思ってやってくる。しかしニンフたちはパンが半獣半人の姿なので驚いて逃げてしまう。パンがすごすごと引き上げるとニンフはまた戻ってくる。>そこでパンがまた彼女たちに近づくとニンフはまた逃げてしまう。しかしその中の一人だけがパンに興味を持ち残って彼を見る。パンはこのニンフに対して求愛の踊りを踊る。ニンフもこの愛を受け入れるかに見えたが、パンが彼女を抱きしめようとした瞬間ニンフはさっと逃げていく。パンはひとり残されて悲しみに沈むが、やがて彼女が落として行ったスカーフを見つけ、それを岩の上に敷いて座り、自らを「慰める」。



さらに、この詩に感銘を受けたのがドビュッシーでした。1892年に「牧神の午後への前奏曲」を発表します。これも新しい音楽の可能性を切り開いた画期的な作品でした。次のページにこの曲の解説と、無料でmp3が入手できます。すばらしいサイトだと思います。

机の上の交響楽: ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

そしてさらにさらに、この曲を受けて1912年に、天才舞踏家のニジンスキーがパンの役を踊ったそうです(これも現代舞踏では歴史的な事件)

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、思想・絵画・文学・音楽、そして舞踏の世界で「牧神パン」がもてはやされていたように思うのです。

***

バリーが「ピーターパン」を完成させたのは、このニジンスキーが踊る1年前の1911年でした。おそらく、芸術や思想でのパンの流行のことについては知っていたと思います。ファンタジーを忘れてしまったピーター少年に、人間が本来持っている自然の力、野生の活力を教えたいと思ったバリーは、野山でおおらかにニンフたちと戯れるパンのイメージを利用したのでしょう。

映画「ネバーランド」のなか、劇を見た人々に、実際のピーター少年が「あなたがピーター・パンのモデルなの?」と訊かれます。

それに対してピーター少年は、「それはこの人です」とバリーを指差すのでした。バリー自身が野生の活力に憧れていたのかも。

そして、アタクシ自身も、もうちょっとカラダを鍛えてマッチョで野性味溢れたワイルド・ガイになりたいものだと、そうすればニンフマニアックの女の子たちにモテモテになれる(と、すっかりポイントをずらし、まるっきり勘違いしながら)パンの耳をかじったりするのでした。

(2005/2/13記)

ゼウス(4):母娘と狂女物と「花と蛇」(ペルセフォネ)

さて前回の続きです。デメテルの娘ペルセフォネの話。このお嬢さんのことです。
rossetti12.jpg

Rossetti, Dante Gabriel Proserpine. 1874

赤い唇と、意味ありげな視線にそそられますが、いずれにせよ憂い顔ですね。何を思っているのでしょうか? 視線は何に向けているのでしょうか? 手にザクロの実を持っています。今から食べようとしているのでしょうか? それとも、一口食べた直後でしょうか?

***

ペルセフォネは別名コレーとも呼ばれます。コレーとは「娘」と言う意味らしいです。デメテルの方も「メテル」の部分が「母」を意味します。銀河鉄道999のメーテルも鉄郎のおっかさんだったのです。デメテルのたった一人の愛娘、それがペルセフォネでした。

それにしてもペルセフォネお嬢様が憂い顔なのはなぜなのでしょうか?

そのわけは、このお嬢様、実は拉致されたお方だったのです。某国に(←違うって!) 

それにしても、誘拐されたにしては、妙な落ち着きの表情も・・・

***

自分の娘であろうが姉妹であろうが手を出すゼウスを筆頭に、ギリシャ神々の世界には狼がいっぱいです。デメテルお母さんは、そんな狼たちから守るため、娘を神々の目が届きにくいイタリアの先っちょにあるシチリア島に住まわせました。ペルセフォネお嬢様は、そこでひっそりと、しかし明るく清楚に生活していました。

他の地元の娘たちとペルセフォネが野原で花摘みなどをして遊んでいたある日のこと。悲劇が起きました。突然、地面が裂け、地中から現れた男にペルセフォネ娘は誘拐されてしまったのです。

この誘拐シーンの美術史上の基本は、どうやら次のベリーニの彫刻っぽいです。
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Gian Lorenzo Bernini, Pluto and Proserpina (1621-22)

嫌がって逃げようとするペルセフォネお嬢様の慌てぶり、それと頑として逃がすまいと捉えた体をしっかり押さえ込む髭もじゃ男の強い意志。みごとな表現だと思います。次のは、ちょっと物まねっぽい彫刻。
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17世紀の作品

このペルセフォネの略奪シーンはかなり衝撃的だったらしく色々な画家が描いています。ベリーニのよりちょっと前になるけど次のアーヒェンのもそれ。画質悪いです。
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AACHEN, Hans von 1615 The Rape of Proserpina

同じく画質が悪いですが、こっちのはペルセフォネ略奪にあわせて、周りが大騒ぎ状態。
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MAGNASCO, Alessandro 1749 The Rape of Proserpina

レンブラントも描いてて、それが次。
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Rembrandt. The Abduction of Proserpine. 1631.

ペルセフォネお嬢様、男の顔を引っ掻いてますよー。よほど抵抗が激しかった模様。

次のはオールスターキャストってことでしょうか?
eL895.jpg

GIORDANO, Luca 1680s

右端が略奪されるペルセフォネ。中央に3つの頭を持つ怪物犬ケルベルスがいて追っ手がくるのを見張ってるし、左のボートは冥界への船なのかも。ちょっとおどろおどろしい光景でいろいろ出てます。よく見ると心霊写真並にヘンなキャラクタが続出かも。

略奪シーンはエウロパ(Europa)関連を代表にたくさんあるけど、どんな形、体形で女性をかっさらってくのが典型なのか? 先のベリーニのポーズが一番なんとなく安定したかっさらいかたのような気がする(笑)

***

さてこの略奪犯人は、ハデス君でした。ゼウスの兄です(弟かも)。

ゼウスの兄弟格の連中には、ポセイドン、ハデスの2人がいて、巨人族との戦いの後、新世界秩序構築の折に3人で役割分担を決めたのでした。その結果、ゼウスは地上の世界、ポセイドンは海上担当、そしてハデスは目立たないけど冥界担当となったのでした。ゼウスの兄弟格ですから結構、強力な神です。

冥界もかなり大切な世界なわけですが、何せ冥界。じめじめしてて、ちと魅力に欠けます。地上界でさんざん女遊びに興じるゼウスと比較すると冥界はそのチャンスすらありません。ハデスの境遇には少し同情できます。

***

「おい、ゼウス、ちっとは俺にも楽しい目を味わわせろよ!」
「ああ、ハデス兄さんですか、とはいっても冥界じゃねえ・・・最近の娘じゃ、なかなか・・・」
「俺さー、あの娘が気になってるんだが・・・」
「ありゃ、デメテルの娘だよ。ペルセフォネ。兄さんが欲しいといってもデメテルがなんて言うか・・・」
「まあ、そう言わず、俺がかっさらってくから、お前はその後の始末をよろしく頼むぜ!」

***

というわけで、先の略奪劇が起きたのでした。

ちょっと遠くから略奪劇を眺めた絵としては次。ペルセフォネを抱えて、スタコラサッサとかっさらってくハデスのウキウキ気分が伝わってきそう。
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Dell'Abate, Niccolo The Rape of Proserpine

ターナーの絵ともなると、もう神話の絵なのか風景画なのかわけ分からない。
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Joseph Mallord William Turner  The Rape of Proserpine, 1839

***

とにもかくにも、この突然の事件、母デメテルにとっては晴天の霹靂でした。愛する一人娘のペルセフォネが突然失踪したのです。パニックに陥りました。神々の中では地味な存在のデメテル。娘とペアで幸せ母娘を演じていたのに、その娘が消えてしまった!!!

半狂乱になって探し回ります。飲まず食わずで各地を歩き回ります。とても神とは思えない形相になっていきます。我が娘を半狂乱になって各地を探し回る母。

***

能には全然なんですが、能の1つのジャンルに「狂女物」というのがあるそうです。もち、最初はその言葉を見て「色狂い」を想像しましたが、ぜんぜん違いました(やっぱりね)。失踪した我が子や恋人、そして夫。それを探して狂いつつも歩き回る母・妻を主題とした出し物を「狂女物」と言うらしいのです。代表作には「隅田川」というのがあるようです。

***

次はコピペの文章です(出所を忘れちゃいました)。

 

能人買いにさらわれたわが子を尋ねて一人の母親が、はるばる京都から東国の隅田川までやって来た。彼女は恋しい子を思うあまり狂人になっている。隅田川の渡し守は、はじめは意地悪をして、母親を船に乗せないが、やがてその優しさにほだされ船に乗せてやる。船に乗っていると向こう岸から人を弔う大念仏の声が聞こえる。渡し守はあれは去年京都から下った人買いが病気になった子を捨ててそのまま奥州へ下ってしまった、その子はそのまま死んだので、この土地の人がそれを哀れんで念仏を唱えているのだと乗客に説明する。母は、それが自分の捜し求めている子だと気づく。舟が向こう岸に着くと、渡し守は母をその子の墓につれてやる。皆で大念仏を唱えていると、やがて人々の声に混じって亡くなった子どもの声が聞こえて来る。そこで今度母は一人で念仏を唱えるが、……。(『能「隅田川」を見る』より)



***

デメテルは、飲まず食わずで探索を続けました。ギリシャ各地に足跡を残していきます。オリンポスの12神に祭り上げられていたものの、そんな立場を投げ打っての探索。

仕事といえば、五穀収穫だが、それすら当然、上の空。収穫の神が神の立場を放り投げて、娘探しに狂うのです。地上世界は収穫を無くし、みるみる荒れていく。

そして、ようやくデメテルは真相を知ります。伝えたのは、太陽の神または光の神として知られるへリオスだそうです。

「デメテル様! 娘さんのペルセフォネをさらっていったのはハデス様です。そして、そのことはゼウス様もご承認なさっていたとか・・・」

デメテル、呟きました。「なんと言うことを! そ、そういうことだったのね!!」

このときのデメテルの気持ち、「新世紀エヴァンゲリオン」の葛城ミサトが碇ゲンドウの裏計画を知ったときの気持ちに匹敵するでしょう。(エヴァ・ヲタです)

***

デメテルの娘探しの旅は続きます。すっかりやつれ、ほとんど老婆の格好に転じて各地を転々とします。オリンポスの12神に名を連ねるほどの身分でありながらそれを明かさずみすぼらしい格好をして歩き回る。ほとんど、女・水戸黄門化してギリシャ各地を回ります。

あるとき、娘が見つからず、失意にがっくり朽ちようとしたことがありました。すると地元の若い娘たちが、その姿を見るに見かねて、ストリップまがいのことをして笑わせたことがあるそうです(このエピソードの絵が見つからない:残念)

元気が出たデメテルは、お礼にその娘たちがつかえる王家に住み込み、乳母として王子を育てることになったそうです。ついでに、お礼として、その王子を不死身の体にすべく、火にあぶって魔法をかける。でもね、そんなことをいきなりしたら、親はビックリするでしょう。それを目撃した王子の母が慌てふためくと、「神への畏敬の念が足らん」とばかりに開き直って、子供を放り投げたりしたそうです。やめろよ、デメテルおっかさん。

もう1つ。探索の旅の途中、あまりにお腹がすいて、ある民家に厄介になります。差し出された食べ物は粟のおかゆとか。デメテルとはいえ、放浪しててお腹が空いていたので、ガツガツむしゃぶりつきます。それを見た、その民家のガキンチョが指をさしてこう言いました。

「ガハハ、このばあさん、ずいぶん卑しいな。がっついてやんの!」

その瞬間が次の絵。
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ELSHEIMER, Adam

がきんちょ君、指をさしたのはまずかったかもな。デメテルおっかさんの逆鱗に触れちゃいました。そして、この少年は蜥蜴に変えられてしまいます。粟のブツブツが体表についたトカゲです。絵でも、足の方から少しずつ少年の体にブツブツができてるのが見えます。

***

さて、デメテル女神の放浪の間、地上の世界はどうなっていたかというと、デメテルが神務そっちのけのため、「収穫なし」状態になっていました。ようするに、地上は荒れ放題。

これで一番困るのは、もち、民衆。ですが神々も民衆からのお賽銭で生きている身ですから、ちと困ったことになっていたのでした。そして、最高責任者は、当然ゼウス。

「ああ、すまん、すまん、こりゃなんとかしねーとなー」

ゼウスよ、オメーももうちょっと生産者の気持ちを考えろよな。収穫のデメテルや、工業の我らがヘパイストスを重視しねーと自分の首を締めるぜー。エルメスだけじゃやってけねーんだよ。

***

というわけで、ゼウス仲介でハデスに渡りをつけ、ようやくデメテルの念願かなってペルセフォネ奪還の日が来ます。その瞬間が次の絵。
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Frederic Leighton  Return of Persephone 1891

使いに出されたのはヘルメス。彼の主導で、冥界に拉致されたペルセフォネが帰ってきます。待ちに待った、わが娘との再会。デメテル、両腕を広げて迎えています。感動の一瞬。

***

この絵、子宮から出てくる子供を描いているとも言われてるようです。迎えるデメテルは産婆さん(というか母)。帰還するペルセフォネは新生児。洞窟のような抜け穴は、産道。ふーん(もうちょっと狭いと名器なんだが・・・)

***

で、ペルセフォネ帰還後、すべてが上手く行ったかというとあにはからんやでした。

ペルセフォネお嬢様は、一年に3ヶ月以上は冥界に戻っています。公式的には、冥界で食べ物を口にしてしまったからと。ざくろを食べたらしいです。冥界にあるものを一口でも口にすると、地上界にはもどれなくなるらしい。(一番上の絵でペルセフォネお嬢様がもってらっしゃる食べかけのザクロが、それ)

だったら、当然、ずっと地上に戻れなくなるのだと思うのですが、1年に何ヶ月かだけは冥界にいなくてはならないとのことです(なんかヘンだな)

***

さて、ここで一番上のペルセフォネお嬢様の絵画。憂い顔のワケ、憂い顔なのに安心しきってる感じのワケに戻ります。

この夏、まともに読んだ本は1冊だけでした。団鬼六「花と蛇」だけ。(何と言う読書の偏り、少なさ:ギャハハ)。読んだ人は分かると思うけどジャパニーズSMのコテンです。

読んで驚いたことは、読む前には綺羅光の「ハードSM+陵辱+愛奴化」をすごいと思っていたのだけど、綺羅的な手練手管の数々から表現の語彙にいたるまで、ほぼその原形がこの「花と蛇」に凝縮されていたことでした。いま巷に溢れるSM小説はこの作品の物まねだ(言い過ぎか?)。欠点はSMのテクニックばかりが先行し、愛あるファックシーンが実に情けないこと(というか抜けない:笑)

で、当然といえば当然ですが、「花と蛇」では可憐なる女性達がつぎつぎに略奪され、監禁されます。しかし、時間とともに(とは言え、1ヶ月も経ってないけど)この淫魔の世界に馴染んでしまいます。全員、略奪者の愛奴化。

***

ペルセフォネは冥界の規則を知らずにザクロを口にしたとされています。ですが、アタクシにはそうは思えません。(ハデスとの生活で肉欲の甘美さを知ったからか)ペルセフォネはハデスと離れたくなかったのではないでしょうか。ゆえに、知っててざくろをかじった。その瞬間が一番上の絵です。この絵のペルセフォネの顔に覚悟の表情が見えてしょうがないのです。

次の絵も、二人の運命っぽい出会いを表している感じ。視線が運命的。
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Edmund Dulac  Pluto and Persephone

ペルセフォネの結婚式を描いた次の絵でも、ペルセフォネは満足げ。
mowbray4.jpg

Henry Siddons Mowbray The Marriage of Persephone

***

「コレーや、いつでもかあさんはまっているんだよ」
「おかあさん、誤解しないでね。私、あの世界でも幸せなのよ」
「昔を思い出すよ」
「おかあさん、たしかに昔はなつかしいわ。でも、私には今も楽しいの」
「あの人はいやなひとじゃないのかい?」
「みんなが思っているほどひどい人じゃないのよ。むしろ、根はやさしいわ」
「そうかい・・・でも、かあさんは、ちょっと寂しいよ」
「大丈夫よ、かあさん。毎年、会いにくるから」

(2002/09/03掲示板掲載)

ゼウス(3):ゼウス vs. デメテル

ゼウスはデメテル(Demeter)とも子供をもうけています。デメテルはクロノスとレアの娘で、結局、ゼウスの妹(?)、ヘラと姉妹です。近親相姦やりまくり。デメテルは穀物豊穣の女神。

ローマ神話ではケレス(Ceres)と呼ばれています。Ceresは英語読みすればシアリーズです。コーンフレークなどをシリアルズ(cereals)と言いますが、もともとこの女神に由来する言葉です。

デメテルとゼウスの間に生まれたのが、ペルセポネ(Persephone、ローマではプロセルピナProserpina)という美しい娘です。この人。
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Rossetti, Dante Gabriel Proserpine. 1874

ちょっと憂い顔ですねー。なんかワケありなんでしょうか?

でも、その話は次ということにして、今回はデメテルの方。豊穣の女神ということで、この神様を敬わないと、おまんまが食べられなくなってしまいます。というわけで、ちゃんと貢物も欠かさぬように! 次の絵では、デメテル女神の像の周りにいっぱい収穫物。
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Rubens, Peter Paul 「ケレスの像」 The Statue of Ceres 1615

下の絵では左側に立ってる赤服のデメテル女神。どう見ても、ちょっと怖そうなおばちゃんに見えます。
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Jacob Jordaens. 「ケレスへの献上」 An Offering to Ceres.

だがしかし、この絵で怖いおばちゃんと思うのはまだ早い。次の絵になると、狂気を感じます(ていうか笑ってしまいそうな怖さ!)
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MICHELE PANNONIO (active 1415-64 in Ferrara) 「ケレス戴冠」 Ceres Enthroned 1450-60

その点、次のワトーの絵では優しそうですね。右手に持つカマが実に鋭そう!
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Jean-Antoine Watteau. Ceres (Summer). 1712.

豊穣の神様ということで、春先にお祭りがあるのでしょうか? 次の絵は明るい春祭りの雰囲気。
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Sir Lawrence Alma-Tadema 「ケレスの神殿への道:春祭り」On the Road to the Temple of Ceres: A Spring Festival

次の絵では、デメテル女神(赤ドレス)がベニス市(右手半裸女性がベニス市を象徴)に祝福を与えてます。ペニスにではないです。
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Venerose, Paolo 「ケレス、ベニスを祝福」 Ceres Renders Homage to Venice 1575

Web Gallery of Artでの解説によると、この絵は天井画である模様。背景の青空と金色に輝く雲によって人物像が見事に浮き出されて見え、完璧なバランスで描かれているとのこと。特に、右手のベニスを象徴する女性像が美しいと。なるほどね~・・・確かに。でも、僕はやっぱ、この女性がつけているブラ(?)に興味が惹かれますが(魔法の帯を参照)。

***

デメテル女神はディオニソス(バッカス)男神と一緒に描かれることが多いみたいです。ディオニソスはお酒の神様。やっぱり美味しい食べ物(=デメテル)には美味しいお酒(ディオニソス)がパーフェクト・ペアです。

次の絵では真中の二人がデメテルとディオニソス。お酒を飲みすぎてちょっと乱れた状況?
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Bourdon, Sebastien「ニンフとサテュロスと一緒のバッカスとケレス」Bacchus and Ceres with Nymphs and Satyrs 1640-60

次の絵、デメテルが可愛らしく描かれてます。体に対して顔が異様にあどけないというか、小さい!小さすぎ!(笑)
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AACHEN, Hans von 「バッカス、ケレス、キューピッド」Bacchus, Ceres and Cupid

「ケレスとバッカスがいなければ、ビーナスだって凍えちゃう」という諺があるようです。英語では、Without Ceres and Bacchus, Venus would freeze. / Venus would grow cold.  

次の絵は、そのまんまのタイトル。
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GOLTZIUS, Hendrick  Without Ceres and Bacchus, Venus would Freeze 1599-1602

「食べ物(=ケレス=デメテル)とお酒(=バッカス=ディオニソス)がなけりゃ、せっかくの愛(=ビーナス=アフロディーテ)も萎んじゃうってものよ」ってことですね。もっと言えば、「ちゃんと食べたり飲んだりできる経済的基盤があった上での愛情」ってことでしょうか。この絵では食べ物とお酒があってビーナス奥様も嬉しそうです。

それに対して、次の絵ではアフロディーテ奥様もエロス坊ちゃんも凍えちゃってます。これは数少ない「みじめ」なビーナス奥様の絵の1つです。こんな目にあわせちゃいけませんね。
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Peter P. Rubens 「凍えるビーナス」Venus Frigida 1614

おかあちゃん、おれ、寒いよー、腹減ったよー、と言ってる感じのキューピッドが、ちょっと哀れです。

これに対して、次の絵では、デメテルとディオニソスに挟まれて嬉しそうなアフロディーテ奥様。このまま「2女X1男」の3Pに展開か? というか、3Pでも余裕綽々のアフロディーテの表情。ヘパイストスの入る余地ナシです。が、上の絵のように凍えさせるなら、どっちかというと、3Pで燃え盛ってもらった方が良いかもしれません。
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GOLTZIUS, Hendrick 「ケレスとバッカスの間のビーナス」Venus between Ceres and Bacchus

(2002/03/31掲示板掲載)

ゼウス(2):ゼウス vs. テミス(季節と運命)

ゼウスがメティスを飲み込んでアテナを生んだ後、彼の2人目の奥さんとなったのはテミス(Themis)でした。テミスというのは「掟、さだめ」といった意味だそうです。このテミスとゼウスから、ホライとモイライという3人娘が2ペア生まれます。計6人。

ホライ(Horai:ホーラの複数形)は「季節」の意味だそうです。メンバーは次の3人。
 ・秩序を表わすエウノミア(Eunomie)
 ・正義を表わすディケー(Dike)
 ・平和を表わすエイレネー(Eirene)
「季節」という言葉で、時間的秩序と、社会的秩序の2つの意味を象徴しているようです。英語の時間のhourという言葉は、このHoraiに語源があるという人もいました。

ホライの絵はなかなか見つかりませんでした。再掲になるけど、ボティチェリの「ビーナスの誕生」で、ビーナス奥様に右から布をかけようと駆け寄ってくる女性がホライの一人だそうです。
botticelli02.jpg

「季節」の神と言うけど、この絵で布をかけようとしてる女性は、明らかに「社会秩序」の代表者としてのホライでしょうね。「ホライほらほら、アフロディーテ様、そんな裸の格好のままじゃ、困りますですわよ!」とか言いながら布をかけたに違いありません。まったくヨケーなことをしてくれるものです。

もう一組の3人娘モイライ(Moirai:モイラの複数形)は「運命」の意味だそうです。次の3人。
 ・クロト(Klotho):糸を紡ぎだす人
 ・ラケシス(Lachesis):分ける人
 ・アトロポス(Atropos):曲げない人
この3人娘は、人間の寿命を司っている模様。

役割としては、クロトが糸を紡ぎだして生命を生み出す。次にラケシスがその糸の長さを決める。最後にアトロポスが一旦決定された長さを決して変えないように裁断する。糸の長さが人の運命に相当する。

クロトから英語の「布」を意味するclothができたそうです。Moiraiからメリット(merit)ができたと書いてある本もあったけど、真偽は調べてみないと分かりません。

モイライはローマではパルカイ(Parcae:パルカの複数形)と呼ばれ、これが語源的にはfate(運命)という言葉につながっているそうです。
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Francisco de Goya y Lucientes The Fates (Atropos) (c.1819-1823)

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Elihu Vedder Fates Gathering in the Stars (1887)

pow991122_2005.jpg

Unknown  The three Fates Oil painting on wood, Antwerp, c. 1590

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John Melhuish Strudwick   A Golden Thread Painted in 1885 Oil on canvas

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Unknown

ちなみに、プログレのELP(Emerson, Lake and Palmer)の曲に「運命の3人の女神(The Three Fates)」というのがありますね。
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