絵画で見るギリシャ神話

ギリシャ神話の世界を絵画を通して見ていきます

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ブーグロー (1873) 「ニンフとサテュロス」

はてさて、前回の「パンの耳」の話から、ものすごい時間が経ってしまいました。あれを書いたのが2005年2月。このブログに転載したのが、2008年5月。書いてから4年、転載してからも1年近く放置しまくりでした。どんだけ放置すれば気が済むの? あーたって人は!(誰にとは言わないが、しゅみましぇん:土下座)




で、その「パンの耳」で「次回送り」にしていたのが、この名画の話であったのでした。

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素晴らしい!!! なんとも素晴らしい!!!

神話絵画について興味を持ち始めたのが、2000年の夏ごろで、その頃、「絵で見るギリシャ・ローマ神話」の掲示板を立ち上げ、ぽつぽつと記事を書いていたのでした。翌2001年、そう、あの911事件の頃あたりまでは、ワリとせっせと書いていた記憶が。

だが、それからは、この通りの自堕落ぶり。完全放置状態になっていたのでした。でも、ずっと再開したいなとは思っていたのですよん。そろそろ、自分の余命も無限ではないと気づき始めてきたので、再開することにしたのでした(笑) アレだし。一応、やりとげたいし。

で、その神話絵画に嵌まってて、アチコチ、探し回っていた2001年頃でした。このブークローの「ニンフとサテュロス」という絵画を見たのは。これを初めて見たときは、解像度の低いノートパソコンでの画面ではあったのですが、衝撃的でした。素晴らしい!!!なんとも素晴らしい!!!

で、ちょうど時期を同じくして、それまでいろいろと絵画を置いているサイトはあったのですが、Art Renewal Centerというサイトができたことに気がついたのでした。ここです。http://www.artrenewal.org/

このサイト、置いている画像の解像度が他とは比べ物にならないくらい高い。驚きました。当時は立ち上がったばかりで、画像数は少なかったのですが、それでも膨大で、神話関係の画像のURLをメモしまくった記憶があります。

しかも、このサイト、アクセスしてみれば分かるのですが、看板画像として、このブーグローの「ニンフとサテュロス」を使ってるのです!  おお! いー趣味してるじゃないか!

そこで、このサイトを立ち上げたフレッド・ロスという人の序言を読んでみたのだった。すると、なんと、やっぱり彼もこの絵に衝撃を受けたらしいのです。

彼ロスの講演が次のところに掲載されていますが、そこから、ロスがこの絵と出合ったときのことを書いた部分を抜粋して翻訳します。

http://www.artrenewal.org/articles/2006/OPA_Speech/opaspeech1.asp

1977年10月、私はマサチューセッツ州、ウィリアムズタウンのクラーク美術館を訪れていました。30枚あるルノワールの絵を見るためです。そして、ルノワールのギャラリーを見終えてホールに出て来た時、その隅っこのところに、この絵があったのです。私は、身も心も鷲づかみにされました。等身大の絵画で、4人の水のニンフが、抗うサテュロスを湖へとふざけ混じりに誘い込もうとしている絵です。

私は、口をあんぐり開けたまま、その場に凍りいていました。背筋を冷たいものがピリピリと走るのを感じました。まるで魔法をかけられたように、その場を動けなくなっていたのです。とても臨場感に溢れ、あまりに美しく、そして力がある。15分か20分ほど、次から次へと押し寄せてくる芸術的、精神的なエクスタシーに身を浸した後、ようやく、意識を取り戻せた私は、今度は、答えが見つからない様々な疑問に頭が一杯になったのです。

最初思ったことは、「ミケランジェロのダビデ像の前に立ったとき以来、芸術作品に対して、こんなふうに感じたことはなかった」ということ。次に、「この絵は超一流作品の一つに違いない」と思いました。でも、作者の名前も、国も、時代も浮かんでこない。イタリア・ルネサンス? 17世紀オランダ? カラバッジョ? フラゴナール? アングル? プルードン? ・・・いやもっと前かも・・・ラファエル? ボティチェリ? ダビンチ? いや違う! 違う! 違う! どれも、今見ている絵とは違うものだ!

そこで私はもっと近くによって見ました。そして、下のほうにブーグローと言う名前と1873年という文字を見つけたのです。・・・ええっ? 1873年?

こんなことがありえるのか? 私は、この時代の偉大な芸術家といったら、モネ、コロー、クールベ、そしてルノワールだったと教わったではないか・・・それに、古い時代の技法やその偉大さも死滅して、1870年代には、このような素晴らしい絵画を描く方法を知ってるものは誰もいないと教わったはず。

私は、学生時代に何年も授業をとってきて、さらに、大学院に進み、芸術関係で60も単位を揃え、コロンビア大学で修士号をとったのに、この画家の名前を聞いたことがなかった。一体誰なのだ? 重要な人物だったのか? どうして重視されないなんてありえたのだろう? これほどの作品を残した人物なら、芸術世界で、最高の賞賛を与えられるに値するのは確かなはず。



ロスさん、すごい感銘を受けたみたいです。この話、いろんなところでやってるみたいです。

ロスさんの言おうとしてるのは、自分は大学とか大学院とかで、いっぱい美術の勉強をしてきたんだけど、19世紀後半と言うと、印象派とかそこらあたりばかり取り上げてて、フランスのアカデミズム系の絵画は、古いとか、伝統に凝り固まっているとか、形骸化しているとか、そんな話しか聞かされてこなかった。まあ、確かに、現代芸術につながってるのは、この頃から生じた、前代の様式をガンガン破壊していって新しい表現を探るって態度なんだけど、だけど、そればっかりもてはやすのはいかがなもんかと思うのよ。現に、この絵を前にして、俺なんかブルブル震える感動を味わったんだが、その感動はどーしてくれるんだ? と。

うん、分かる気がするよ、ロスしゃん!

ロスさんは、そこから一念発起、インターネットの拡大という時代に合わせて、どうしても自分の感動を人に伝えたくなり、この時代の、芸術史上はあまり評価されていない名画の数々を、高画質で見てもらえるサイトを立ち上げることにします。その結果できたのが、このArt Renewal Centerなのだった。

分かる気がするよ、ロスたん!

人に分け与えたい、シェアしたいって気持ち! アタクシも、美術史のことなんか良くわかんないけど、ルネサンス期の大画家たちの後はレンブラントとかボッシュとか、あるいはフランスのプーサンとか、そこら辺がちょちょっとあって、後は、印象派とかゴッホとかピカソとかって続いて、現代だもん。このブーグローとかカバネルとか知らなかったもん。自分の感動を、人に伝えたくなる気持ち、すごく分かるよ!

とても素晴らしい名画を描いた世代が、ごっそり、後世では丸無視され続け、さらにはアタクシたちにもあまり美術の時間とかで教えられてこなかったってことだもん。騙されたって感じ。

アレか? 確かにブーグローとかカバネルとか裸絵が多いもんな。ほんでもって、そいつを、例えば、高校の美術の時間に教えるとなると、こりゃ、先生もちょっと説明する時、赤面しちゃうかもしれないし、男子高校生の方も、違う方の頭をもたげちゃったりするから、

「A先生、19世紀後半のフランス・アカデミー系の画家の話なんですけど、ちょっと、アタシ、生徒たちの前で、説明しづらくって、困ってるんですよ。裸満載なんですもの。どうしたらよいでしょうか?」
「そうですね、確かに。・・・ここのところは、ちろっと触れるくらいで、かるーく飛ばしちゃいましょー、B先生」

って会話があちこちでなされて、その結果、すっ飛ばしってことになったに違いないのだ。絶対に。もー、騙されたって感じだよ(笑)

分かるよ、ロスちん!




それにしても、どうして僕はこの絵画に一発で惹かれてしまったのだろうか? ロスしゃんも考えたのだろうなあ。でも分析自体は見つかりませんでした(いや、ものすごくたくさん文書が載ってるので、あのサイトには:汗)

で、ちょっと考えてみたのだ。いや、分析なんってもんじゃなくって、感想と言うか、こじ付けと言うか(笑)

まずは、裸のニンフたちに沼に引きずりこまれようとしているサテュロスという構図で、それも意味深だと思うのだけど、でも、それは後回しにすることにして、とりあえず、最初に、目を引きつけられるのが、手前、右手にいる背中を見せている女性の美しい肌なのだった。そこだけ切り抜いて、再掲します。

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うう、美しい! 光を受けて輝く、透き通った白肌! その女性的な腰の丸み! 背後からも見えるハミ乳の豊かさ!(ハミ乳の定義とはズレるけど) ああ、触れてみたい! 実に女性らしさを強調した姿、そして明るいハイライトを当てて、それを際立たせた配色。

実際、サテュロスの手が、彼女の左の乳房(ハミ乳)に届きそうになっているのが見えます。触れてみたい! いや、いかん! ダメ、ダメ! ああ、でも触りたい!(多分、そういうことを表わしているわけじゃないだろうけど:笑)

で、次に目が行くのは、当然、その向こう側にいて、笑顔を見せている彼女! 彼女の笑顔はアップにするに値する!

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この、はにかんだような笑み! 眼差し! なんと可憐なことか! しかもその慎み深そうな表情には、温かさ、おおらかな明るさも感ぜられる!

確かに若い娘さんではあるのだけど、何と言うか、聡明な女性の持つ賢さ、奥ゆかしさ、明朗さが表わされているような笑顔だなあと。この娘さんは、あまり肉体的な女性美は出ていません。胸のところは、サテュロスの腕で見事なほど隠されちゃってます(残念!) 下腹部も、なんと、ずるいことに
ショールという小道具を使って、さりげなく隠しちゃってる(実に、ずるい!)

光線のあたりぐあいを見ると、手前の女性が肌の美しさを際立たせるように身体に煌々と光が当たってるのに対して、この女性の場合は、身体や顔にはあまり光はなく、むしろ、頭部にハイライトが当たってます。やはり頭がいいんだ、この娘さんは!

手前の美肌の背中を見せている女性が、体の曲線美や肌の滑らかさといった女性の身体的な美しさ見せているのに対して、奥の笑顔美少女は、明朗さ、奥ゆかしさといった女性の精神的・理知的な美しさを表わしているような気がするんです。実際、ヘアバンドを見てみると、手前の女性が赤いバンドをしているのに対して、奥の女性は青バンドをしている。

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赤はやっぱり身体的な情熱につながるような感じ。一方、青は精神性や知性につながるような感じ。あくまで、感じ(笑)

ともかく、こんな二人に腕を引っ張られて誘われたら、いやでも誘いに乗ってしまいそうです。しかも、脇役的存在だとはいえ、後ろの二人も、サテュロスの沼への引きずり込みに強引な加担をしてるのですよ、ご主人!

右手の女性は、>角を握って引っ張ってるし、遠くにいるニンフの仲間に応援を呼びかけています。右手奥の暗がりに、裸のニンフがうじゃうじゃいますよ!

左手の女性は、体重をかけて、踏ん張りながら、サテュロスの後頭部を押しているのだった。顔には、「いい加減、観念したら?」とでも言いたげな、表情。ああ、そんなあ、強引なあ!

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構図的には、この絵には二つの三角形があるように見えます。一つは、この絵の中心人物である、サテュロス、赤バンド背中美肌娘、青バンド聡明笑顔娘が形作る縦の逆三角形であり、もう一つは、サテュロスの左右の腕の広がりによってできた水平的な三角形です。縦の逆三角形は黄色で、水平的な三角形は赤で書いてみました。

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黄色の三角は逆三角形になっていますので、当然、不安定さを印象付けます。今にも傾いて、倒れてしまいそう。どちら側に倒れそうかは、絵の中に描かれている力学から明らかで、サテュロスは、今にも沼の方向へ倒れてしまいそうになっています(でも、まだ、踏ん張ってる)。

で、赤の三角を見ると、明らかに一つの角はサテュロスの目にあって、その目の前にある沼へと広がっていることが分かります。彼の視線の先にはどんな沼があるのでしょうか? 画面には描かれてはいないけど、この森の雰囲気からすると、あまり明るそうな沼じゃないんじゃないかと思えます。・・・何と言うか、どんより濁ったミドリ色の沼。中にどんな生き物が隠れているか、分からない沼。できれば入りたくない。

それにしても、どうして、サテュロスは、こんなに抵抗を示しているんでしょう?

サテュロスとニンフたちを画題にした絵画では、通例、サテュロスがニンフと陽気に遊んでいる図とか、あるいは、サテュロスがニンフを追いかけたり、襲い掛かったり、略奪したりする図が描かれます。サテュロスって、そういう好色で、陽気な、あるいは時には乱暴な遊び人というイメージなのだった。

だったらさあ? サテュロス君、この絵の状況は願ったり、叶ったりの状況じゃないかと思うんだよ? 


手前赤バンド 「さあ、サテュたん、一緒に遊ぼーよ。気持ちいいこと、しよー?」
奥の青バンド 「サテュロスさん、私たちのところへ行きましょう? 本当に、楽しいんですよ?」
左奥踏ん張り娘 「うふふ、いい加減、諦めてさあ!」
右奥呼びかけ娘 「みんなー、手伝ってー! サテュちんったら、強情なのよー」

ほら、みんなもそう言ってるのに。なのに、どーして、拒んでるの? どーして、そんな難しい顔をしているの? それにさあ、サテュロス君は、結構、腕力があるんだから、逃げようと思ったら、すぐに振り払って、スタコラサッサっていけるじゃん? なのに、どうして逃げようとしていないの?


やっぱり、目の前にある沼が怖いんでしょうね。と、同時に、何か抵抗し切れない魅力的なものがあると。一体、サテュロスは沼の方向に何を見ているのでしょう? 

まず考えられるのは、やっぱ、女性かな? と(笑)

ニンフが4人描かれているけど、これはサテュロスの心理状況を表わした幻影であって、この4人が合体した一人の美女が沼に立っていると。言い方を変えると、完璧と思われる女性が彼の正面、沼の中にいて彼を誘っている。

その女性の身体的な美しさが手前の赤バンド女性となって彼を誘い、彼女の精神的な美しさが奥の青バンド女性となって誘っている。他の二人も、その女性の分身の術の結果。

サテュロスはニンフの誰にも視線を向けていないんだけど、それは当然で、彼に見えているのは正面にいる(画面には描かれていない一人の美女だから)。両腕を広げて、彼女を抱きしめたいと思っている。だがだ、沼が怖くて行けない。

エッチしたーい! でも、沼におぼれるのはヤダー! って、いや、やっぱ、もうちと深いだろー、フツー(笑)

ロックとかポップとかの歌で、ラブソングが多いけど、アレはラブソングという衣装をまといつつ、実は違うことを歌っているのだとよく言われます。ラブソングに乗せて、相手への気持ち、憧れ、嫉妬、恋愛の嬉しさや悔やみを歌いつつも、その相手とは、恋愛での相手のことと見せかけて、実は、もっと抽象的な、人生での理想とか信条とか願いとかであると。

ここでも、理想的な女性を目の前にしてのサテュロスを描いていて、しかも、その女性の美徳を分身の術で肉体性と精神性の二人(後ろも混ぜると4人だが)に分けて描いているのだけど、その直接描かれていない美女自体が、何かの象徴となってるのではないかと。

何か、圧倒的に美しいものが、それなのでしょうね。それに溺れてしまうのが怖いのかも。

サテュロスは基本的に森の住人。一方、水のニンフたちは河川や池沼の住人。同じ野生生活をしているにしても、別々の世界の住人です。サテュロスにしてみると、そのような、異質の世界に美しいものが現れ、虜にされてしまった、と。だが、所詮、自分が生きている世界とは違う世界であるわけで、その世界に入ってしまったら、自分は死んでしまうかもしれない。だけど、どうしても、魅力に引き寄せられてしまう。どうしたら良いのだ? 

サテュロスたん、目が怖いですよ!

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違う世界に魅せられるんだけど、違う世界だけに、怖くて悩む。その葛藤が描かれてると。

こういう状況は割りと身近にあるように思います。「転職した方が年収が上がる。でも、新しい会社でやっていけるんだろうか?」とか、「彼女と結婚したい。でも、その後の新しい人生はちゃんとやっていけるんだろうか?」とか。

ともかく、そういう悩みでも、神話の構造として描かれることによって、レベルの高い、抽象度が増した悩みとして観る人に伝わることになると。

そこで前の疑問に戻って、どうして、アタクシがこの絵にグイッと惹かれてしまったのか、と。それを思い返すと、やっぱり、そのような望みと不安のせめぎ合いの心理状況にいつも置かれていたからなのではないかと思います。ほら、例えば、「隣のパチンコ台の方が出が良さそうだ。でも、移った後で出なかったらを考えると怖い」とか、「どっぷりエロに浸りたーい。でも、浸りすぎて、溺れてしまうのはこわーい」とか(← いや、もう溺れてますよ、あーた)。

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パンの耳

近所のスーパーでパンの耳だけを集めて売ってるんですが、それを買って食べるてと、確かに貧乏くさいものの、なんか「お上品な柔らかフワフワのパンなんか食べなくったって、こうやって食っていけるぜ!」っていう、開き直ったワイルドな気分に浸れます。自分が生命力旺盛な野生児になった気分。

***

先日、「ネバーランド」という映画を観てきました。

「ピーターパン」の原作者のウィリアム・バリーがどうしてこの劇を作ったのかを描いた映画でした。小品ですが佳作だったと思います。バリーが、4人の男の子を持つ未亡人と知り合う。その3男の名前がピーター。

ピーター君は妙に大人びていて、想像とか空想とかをバカバカしいと兄弟同士での遊びに加わらないのでした。それを見かねて、バリーは空想の素晴らしさ・効用をピーターに分かってもらうためにピーターパンの劇を作ったという話。

ピーターパンの「ピーター」の部分は、この映画で描かれているように、その未亡人の3男の名前に由来します。それじゃ「パン」の部分は何なのかというと言うと、これはギリシャ神話に出てくる牧神のパンに由来するらしいです。

有名な話しなのかもしれません。ピーターパンについてのFAQを書いてる次のページでも、そう言っています(2つ目の質問)。

ピーターパンFAQs

ディズニーのアニメでのピーターパンは、わんぱく少年のイメージですが、その耳の形が異様です。とんがってます。



牧神パンはヤギの耳をしているのですが、このピーターパンの異様な耳も、彼が実は牧神パンの仲間だとするならば納得が行きます。これが正しいとすると、ピーターパンとは「牧神パンのピーター」という意味となります。

じゃあ、なんでそもそも、ピーターパンは「(牧神)パン」なのか? 

映画「ネバーランド」には、それについての説明はありませんでした。

***

話が逸れるかも知れませんが、ちょっとギリシャ神話での自然観について。

ギリシャ神話の世界では、自然界のすべてに何かが宿っていると考えられていたようです。そして、その宿ってるものの多くがニンフ(nymph)たちでした。ニンフは「精霊」と訳されるのが普通ですが、もっとエロいイメージで構わないと思います。ニンフから派生されてきた言葉には、nymphomaniac(色情狂・多淫症)などのエロい言葉がいっぱいあります。ニンフは基本的に半裸状態の美しく若い娘たち。山や川や海や野原のいたるところにニンフが宿っているのでした。イメージ的には次の絵のような感じ。

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Bouguereau (1878) The Nymphaeum 「憩いの場」

想像してみて欲しいのですが、これはすごい世界観です。古代ギリシャ人に大敬服です。自然の野山・山河のそれぞれに、実際には目には見えないが、半裸・全裸の美しい娘たちが宿っているのですよ。

ハイキングで野山に行ったとして、あたりじゅうに全裸・半裸の美しい娘たちがいてニコニコ微笑んでくれているのです。そう想像した瞬間、僕は自然が実に実に美しく感じたのでした。心から自然を大切にしなければ(そのお礼として、あわよくば、自然に宿るニンフの誰かに楽しいことさせてもらいたい)と思いました。

自然保護バンザイです。自然保護運動は森林河川全裸娘保護運動と名称を変えるべきだと思います。

ニンフについては、裸婦画が嫌と言うほど釣れるので、いずれ別の機会に特に取り上げます。アタクシ、ニンフの絵を張り、それについてエロ文を書くことは、使命と感じています。

ともあれ、そういった古代ギリシャでの自然の理想郷の一つにアルカディアという土地があります。そのアルカディアの動物たちの神がパン(Pan)です。ニンフたちと遊び回る牧神です。

パンは、上半身は人間、下半身は山羊の姿。頭には二本の角をはやし、ヒゲがボウボウの
顔、という風貌です。下半身が牛の姿になっているのはケンタウロスで、これとは混同してはいけないようです。彫刻ですが、次のような風貌。

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Bandinelli, Baccio (1540) Faun

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Riccio (1506) Satyr

次の絵は、色彩が鮮やかですね。

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Rubens, A Girl and Satyr with Fruit Basket

パンは、元来は結構、上級の神様のグループに入っていたようなんですが、この半分ヤギ、半分ニンゲンのパンと似た格好の者たちもいて、それがサテュロス(satyr)と呼ばれる連中でした。こちらは下級の連中。

さらにそのサテュロスよりも下級の連中としてシレノス(silenus)というのもいました。また、これらはギリシャ神話での呼び名ですが、ローマ神話にも似た風貌の神がいて、それがファウヌス(faun)。

姿や格好が似ていると、結局は同類と見なされちゃうらしくて、やがてパン、サテュロス、シレノス、そしてファウヌスと、呼び名が違っても、同じような者と見なされるようになってしまいます。ここらあたりはごちゃごちゃです。

半分ニンゲン、半分ヤギという風貌や野山に住んでいるという点に加えて、行動や性格もだいたい共通していて、
・酒好き
・極めて好色・女好き(ニンフや女神を追っかけ回してる)
・野卑な言動
などなど。(なんだか僕の行動性格を述べられているような気分)。

きわめて大雑把に言って、野生の自然の力と生物の繁殖を司る好色な神っていう特徴づけです。

後で触れると思いますが、ニンフの一人、シュリンクス(Syrinx)との逸話から、笛を持っていて、その名手でもあります。その笛はパン・パイプとかパン・フルートと呼ばれます。次の絵でパンが抱えています。

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Vrubel (1899) Pan

牧神パンはゼウスの子供ともエルメスの子供とも言われ、結構レベルの高い存在です。祭壇に祭り上げられた感じのパン。

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von Stuck (1908) Pan

次の絵では、右端にパンの石像があります。男女乱れて大騒ぎが始まりそう。

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Poussin (1631) Bacchanal before statue 「石像の前のバッカナルたち」

上の絵から少し時間が経った後が次。乱れの度合いが高まっています。中央にあるパンの石像も酒を飲んだのでしょうか? なぜか顔が赤らんでいます。この後、乱交になったことでしょう(だがその画像はない:泣)。

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Poussin (1636) The Triumph of Pan 「パンの勝利」

***

ですが、割と高レベルの存在だったパンも、他の低レベの存在と混同され、サテュロスとかシレノスの一員として集団化されると、普通はディオニソス(ローマ名、バッカス)の仲間として描かれるようになっていきます。しょっちゅう、酒を飲んで踊ったり、野山を歩き回ったり、ニンフを追っかけ回しています。

酔っ払った醜い姿はもっぱらシレノスが中心か? 何となく自分の姿を・・・

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Rubens (1618) Drunken Silenus 「ヨッパのシレノス」

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van Dyck (1621) Silenus drunken 同じく「ヨッパのシレノス」

発見したとき衝撃を受けた絵画が次! その衝撃のあまり無意識的に小躍りして喜んでいました。ほとんどハードコア・ポルノです。

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Briullov (1830) Silen, Satyr and Bacchanals 「シレノス、サテュロス、そしてバッカナルたち」

左に顔のはっきりしない男のサテュロスがいて、ニンフへの挿入を手伝ってます! 
下には女のサテュロス。あそこをいじられています! 
仰向けにドテンとなってるシレノス。勃起してますよ、奥さん!

酔って淫蕩の限りを尽くしたあとは、グースカピーです。

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Montorsoli (1532) Drunken Satyr 「ヨッパのサテュロス」

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Rubens (1610) Pan Reclining 「横たわるパン」

***

好色・酒好きのパンは、基本的には陽気なオヤジっぽいキャラクタですが、よく森の中で昼寝をしていて、そこを起こされるのが大嫌いの模様。そうされると怒り狂うようです。

パニック(panic)という言葉が、パンの怒った時の突然の恐ろしさを表すものとして生まれたのは有名だと思います。次の絵はパンがいきなり襲い掛かってパニックになったアルテミス(ディアナ)女神一派の状況。

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Rubens (1638) Diana and her Nymphs Surprised by the Fauns 「ファウヌスに驚かされたディアナと彼女のニンフたち」

右端で槍で対抗しようとしているのがアルテミス女神。さすが女神。パニックにはなっていないようで、ちゃんと前を隠しているじゃん!

***

このようにパンは、オリンポス12神などに比べると低い身分の存在でした。ですが、「パン」という名前が、「すべての」などの意味を表す別の単語の「パン」と同じ発音だったことで、一部で勘違いが生じたらしいです。「すべての」の意味のパンは、「パン」アメリカンとか「パン」テオンとかに出ています。その「すべての」の意味が牧神パンにも付与されてていき、牧神パンは、「すべての」神の上にいる、全世界的・全宇宙的な存在とも考えられたらしいです。

ビクトル・ユゴーが、詩で「我はパンなり。我は全なり。ジュピターよ、跪くがよい!」と書いていたそうです(『ギリシア・ローマ神話文化事典』ルネ・マルタン監修)。ずいぶん偉いな、パン。ゼウスにため口で命令か?

キリスト教が拡大していた紀元後1世紀のローマ。ティベリウス帝の時代。船乗りの一人が不思議な声を聞き、「偉大なるパンは死せり」と告げるように命ぜられたらしい。そう告げると自然界は悲嘆にくれたと。

これって、こういうことなのかなあ・・・? 

淫乱・多神・土着宗教の親玉的存在のパンは死滅し、これからはキリスト教の時代だと。
高らかに宣言した逸話だと、そうかもしれないです(が、よく分かりません)。

キリスト教ががんじがらめに支配する中世ヨーロッパでは、サテュロスやパンの姿は悪魔のイメージになぞらえられていました。

そして実際、パンが芸術世界に復活するのは、人間性が重視されるようになったルネッサンス期でした。

そしてさらに時代が進んで、19世紀。ニーチェが「偉大なる神は死せり」と言い、キリスト教の世界からの完全脱却を語りました(多分:笑)。このセリフ、前の「偉大なるパンは死せり」を踏まえています(これは確か)。ニーチェはパンのことを念頭においていたのだと。

同じころの1873年。ブーグローが、ニンフと戯れる牧神パンの絵を描きました。名作です(この絵については次回、もっと詳しく)

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Bouguereau (1873) Nymphs and Satyr

さらに同じころの1876年、ステファーヌ・マラルメというフランスの詩人が「牧神の午後」という詩を書きました。「牧神」とはもちろんパンです。当時としては画期的な象徴詩だった模様。”ヘルメス”の笛に、この詩の原文の一部と要約が載っています(そこからの引用)

水辺でニンフたちが水浴びをしている。そこへ彼女たちの美しさに目を奪 われた牧神パンが仲間になりたいと思ってやってくる。しかしニンフたちはパンが半獣半人の姿なので驚いて逃げてしまう。パンがすごすごと引き上げるとニンフはまた戻ってくる。>そこでパンがまた彼女たちに近づくとニンフはまた逃げてしまう。しかしその中の一人だけがパンに興味を持ち残って彼を見る。パンはこのニンフに対して求愛の踊りを踊る。ニンフもこの愛を受け入れるかに見えたが、パンが彼女を抱きしめようとした瞬間ニンフはさっと逃げていく。パンはひとり残されて悲しみに沈むが、やがて彼女が落として行ったスカーフを見つけ、それを岩の上に敷いて座り、自らを「慰める」。



さらに、この詩に感銘を受けたのがドビュッシーでした。1892年に「牧神の午後への前奏曲」を発表します。これも新しい音楽の可能性を切り開いた画期的な作品でした。次のページにこの曲の解説と、無料でmp3が入手できます。すばらしいサイトだと思います。

机の上の交響楽: ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

そしてさらにさらに、この曲を受けて1912年に、天才舞踏家のニジンスキーがパンの役を踊ったそうです(これも現代舞踏では歴史的な事件)

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、思想・絵画・文学・音楽、そして舞踏の世界で「牧神パン」がもてはやされていたように思うのです。

***

バリーが「ピーターパン」を完成させたのは、このニジンスキーが踊る1年前の1911年でした。おそらく、芸術や思想でのパンの流行のことについては知っていたと思います。ファンタジーを忘れてしまったピーター少年に、人間が本来持っている自然の力、野生の活力を教えたいと思ったバリーは、野山でおおらかにニンフたちと戯れるパンのイメージを利用したのでしょう。

映画「ネバーランド」のなか、劇を見た人々に、実際のピーター少年が「あなたがピーター・パンのモデルなの?」と訊かれます。

それに対してピーター少年は、「それはこの人です」とバリーを指差すのでした。バリー自身が野生の活力に憧れていたのかも。

そして、アタクシ自身も、もうちょっとカラダを鍛えてマッチョで野性味溢れたワイルド・ガイになりたいものだと、そうすればニンフマニアックの女の子たちにモテモテになれる(と、すっかりポイントをずらし、まるっきり勘違いしながら)パンの耳をかじったりするのでした。

(2005/2/13記)

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